オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)

オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)は、英国出身の伝説的なヘヴィメタル・ミュージシャン、シンガーソングライターです。本名はジョン・マイケル・オズボーン。彼は「プリンス・オブ・ダークネス」や「マッドマン」、そして日本では「メタルの帝王」など、数々の異名で知られています。

経歴

オジー・オズボーンは、1948年12月3日にイングランドのバーミンガムで生まれました。少年時代は苦難を経験しましたが、15歳で学校を辞めた後、音楽の道に進みます。

1969年、ギタリストのトニー・アイオミ、ベーシストのギーザー・バトラー、ドラマーのビル・ワードと共に「ブラック・サバス (Black Sabbath)」を結成。1970年にデビューアルバム「黒い安息日」をリリースし、ヘヴィメタルの礎を築きました。ブラック・サバスは、そのダークで重厚なサウンドで世界的な成功を収めました。

1979年にブラック・サバスを脱退した後、オジーはソロ活動を開始。1980年にソロデビューアルバム「ブリザード・オブ・オズ (Blizzard of Ozz)」をリリースし、ギタリストのランディ・ローズとの共演で「Crazy Train」や「Mr. Crowley」といったヒット曲を生み出しました。その後も数々のアルバムをリリースし、ソロアーティストとしても絶大な人気を誇りました。

最新情報

残念ながら、オジー・オズボーンは2025年7月22日に76歳で死去したと報じられました。2020年にはパーキンソン病を患っていることを公表しており、闘病生活を送っていました。

彼は、今月5日には出身地のバーミンガムでブラック・サバスとしての「最後のコンサート」を開催したばかりでした。彼の訃報に際し、トニー・アイオミやザック・ワイルドをはじめ、多くのミュージシャンやファンから追悼のメッセージが寄せられています。

主なソロアルバム

オジー・オズボーンの主なソロアルバムには以下のようなものがあります。

Blizzard of Ozz (1980)

Diary of a Madman (1981)

Bark at the Moon (1983)

The Ultimate Sin (1986)

No More Tears (1991)

Ozzmosis (1995)

Down to Earth (2001)

Black Rain (2007)

Scream (2010)

Ordinary Man (2020)

Patient Number 9 (2022)

オジー・オズボーンは、その唯一無二の存在感と音楽性で、ヘヴィメタル界に多大な影響を与え続けました。

松本隆さん

松本隆さんは、日本の音楽界において、その名を刻む伝説的な作詞家です。1970年代から現代に至るまで、数々のヒット曲を生み出し、日本のポップミュージックシーンに多大な影響を与え続けています。

経歴と「はっぴいえんど」

1949年、東京都に生まれた松本隆さんは、慶應義塾大学在学中の1969年に、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂と共に伝説的なロックバンド「はっぴいえんど」を結成しました。バンドではドラムスを担当し、**「日本語のロック」**という新たな地平を切り開き、その後の日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。彼らは、日本語の響きを活かした歌詞とロックサウンドを融合させることで、多くのミュージシャンにインスピレーションを与えました。

作詞家としての活躍

「はっぴいえんど」解散後、松本隆さんは作詞家としての活動を本格化させました。以来、2100曲以上もの楽曲の作詞を手がけ、総売上枚数は5000万枚を超えています。彼の作品は、歌謡曲、ポップス、ロックはもちろん、クラシックの日本語訳詞やアニメソングなど、ジャンルを問わず多岐にわたります。

主な作詞楽曲(一部)

太田裕美:「木綿のハンカチーフ」

松田聖子:「赤いスイートピー」「瑠璃色の地球」「瞳はダイアモンド」など多数

近藤真彦:「スニーカーぶる~す」

寺尾聰:「ルビーの指環」

薬師丸ひろ子:「セーラー服と機関銃」

KinKi Kids:「硝子の少年」「薄荷キャンディー」

中島美嘉

藤井隆 など、挙げればきりがありません。

作詞の特徴

松本隆さんの歌詞は、その文学性と情景描写の豊かさで高く評価されています。

詩的な表現と物語性: 短い言葉の中に、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのような具体的な情景や、繊細な心情、物語を感じさせる表現が特徴です。感情をストレートに表現するのではなく、具体的なモノや風景、比喩を用いることで、聴き手の想像力を掻き立てます。

言葉のリズム感: 「はっぴいえんど」でドラマーとして活動していた経験から、言葉の響きやリズム感を非常に重視しています。字余りや字足らずが極端に少なく、メロディに乗せたときに自然で心地よい響きを生み出します。

普遍的なテーマと時代性: 恋愛、青春、人生の機微といった普遍的なテーマを扱いながらも、その時代ごとの空気感を巧みに取り入れ、多くの人々の共感を呼んできました。

影響と評価

松本隆さんは、日本のポップミュージックの基礎を築いた一人として、その功績は計り知れません。彼が手がけた楽曲は、時代を超えて多くのアーティストにカバーされ、歌い継がれています。2017年には秋の褒章で紫綬褒章を受章するなど、その功績は公的にも認められています。

彼自身が「風街(かぜまち)」と呼ぶ、幼少期を過ごした青山周辺の記憶が、その創作の根底にあると語っています。彼の詞は、今もなお多くの人々に感動を与え、日本の音楽シーンに新たな風を吹き込み続けています。

渋谷陽一さん

渋谷陽一さんは、音楽評論家、編集者、ラジオDJ、そしてフェスプロデューサーとして、日本の音楽シーンに多大な影響を与えた人物です。
残念ながら、2025年7月14日に誤嚥性肺炎のため74歳で逝去されました。 2023年11月に脳出血を発症し、療養しながらリハビリを続けていたとのことです。主な功績としては、以下が挙げられます。
『rockin’on』創刊: 1972年に20歳で洋楽ロック批評・投稿誌として『rockin’on』を創刊し、日本のロックジャーナリズムを牽引しました。
『ROCKIN’ON JAPAN』創刊: 1986年には邦楽ロック批評誌『ROCKIN’ON JAPAN』を創刊し、日本のロックバンドの台頭に貢献しました。
「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」開催: 2000年には大型ロックフェスティバル「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」をプロデュースし、日本の音楽フェス文化を確立しました。
ラジオDJとしての活動: NHK-FMの「サウンドストリート」や「ワールドロックナウ」など、50年以上にわたりラジオDJとして活躍し、多くのリスナーに海外の音楽を紹介しました。
ロッキング・オン・グループの設立と発展: 雑誌の発行だけでなく、書籍、イベント制作、Webメディアなど、多岐にわたる事業を展開するロッキング・オン・グループを築き上げました。
渋谷陽一さんの逝去は、日本の音楽界にとって大きな損失です。彼の残した功績は、これからも多くの人々に影響を与え続けることでしょう。